笑い話として、そして
シャンデリアのオフィス、テカテカのスーツ、尖った靴、札束の写真、その裏で動いていたハリボテのPHP。今振り返ると、2010年代前半のネオヒルズの狂乱は、平成のインターネット史に残る喜劇に見えます。
けれど、視点をひっくり返せば、それは停滞した時代にレールから外れた若者たちが、借金をしてまでつかもうとした一本の糸の物語でもありました。笑い話と悲劇が、同じ一枚の写真の表と裏に貼りついています。
言葉にできることが救い
渦中にいた人たちのいちばんの不幸は、自分がどんな構造の中で何に踊らされているのかを、言葉にする手段を持てなかったことでした。構造が見えないから、最先端のビジネスをしていると思い込み、マインドセットのPDFに24万円を払い、壊れたときにはなぜ壊れたのかすら分からない。
あの時代を言葉にして並べ直すことは、それ自体がひとつの供養であり、同じ型の罠を見抜くための備えになります。
なぜ気づける人が少ないのか
一度払ったお金や信じた相手を「ハリボテだった」と認めるのは、誇りの面でも心の面でもいちばんつらいことです。だから多くの人は、運が悪かった、努力が足りなかった、次こそは本物だ、と考えて別の虚構へ移っていきます。
もう一つの理由は、この仕組みを見破るには二つの視点が要ることです。
- 技術の視点:コード、サーバー、決済の裏側がどう動いているか。
- 社会の視点:なぜその時代に、その熱狂が起きたのか。
コードしか分からなければ「作りが雑だ」で終わり、社会しか見なければ「成金の流行りすたり」で終わる。両方がつながったとき初めて、雑なPHPと若者の絶望が噛み合ってできた虚構の装置だった、と見えてきます。
型は今も動いている
不安をあおり、成功を演出し、高額な空箱を売り、買った人に次を売らせる。この型は、YouTube、投資、AI副業と看板を替えて、今もどこかで回っています。
派手な演出や「月収◯◯万円」という数字を見たときに、その裏でどんな仕組みが動き、誰が手数料を取っているのか。一度そう考える癖が付けば、あの時代に失われたものの一部は、無駄ではなかったことになるはずです。
本当に価値を生み出したものが、まっとうに評価される世の中であってほしい。
ネオヒルズの狂乱を記録したこのサイトは、その願いで締めくくります。